『書』 田島青谷, 2026
「書」という字は、書道にとってあまりにも身近です。
けれど、その字そのものを眺めてみると、そこにはちゃんと「筆」の気配があります。
鍵になるのが、上の方に含まれる 「聿(イツ)」 という字です。部首としては「ふでづくり」と呼ばれ、古くは「筆」そのものを表しました。もとの字形は、手に筆を持つ姿をかたどったものとされます。つまり「書」という字の中には、すでに“筆を手にしている”形が潜んでいるわけです。
「書」は、この「聿」と、音を示す部分とが組み合わさってできた字で、もともとは筆で物事を書きつけることを表しました。そこから「書いたもの」「手紙」「書物」へと意味が広がっていきます。動作だった「書く」が、その結果である「書」にもなった。考えてみれば、ずいぶん働き者の一字です。
そして「聿」は、そのまま現在の「筆」にも入っています。
筆 = 竹 + 聿
「聿」がもともと筆を表していたところへ、「竹」が加わった字です。竹の軸をもつ筆記具であることが、字の中でもわざわざ説明されています。昔の人にとっては、「筆」と書くこと自体が、ちょっとした道具の構造図だったともいえそうです。
おもしろいのは、同じ「聿」の形が見えるからといって、すべてが「筆」と直接関係しているわけではないことです。
たとえば 「律」 にも聿がありますが、こちらでは主に音を示す役割を担い、「おきて」「一定の法則」という意味になりました。旋律、規律、法律――どれも、ばらばらなものを一定の秩序に整える言葉です。
さらに 「津」 にもよく似た形があります。しかし「津」は水を表す「さんずい」と音を示す部分からできた字で、もとは川の渡し場や船着き場を意味します。見た目が似ているからといって、親戚とは限らない。漢字の世界にも、なかなか紛らわしい“他人の空似”があります。
ところで、「筆」は昔から今の一字だけだったわけでもありません。古代中国では地域によって筆を表す呼び方や字が異なり、「聿」のほか「不律」「弗」などが使われたという記録もあります。文字が統一される以前には、筆の名前ひとつにも土地柄があったのです。
こうして見ると、「書」という一字には、単なる「文字」以上のものがあります。
筆を手に取り、何かを記し、それを残し、やがて誰かが読む。そんな一連の行為が、一文字の中に折り重なっています。
私たちは普段、「書」を完成した文字として見ています。
けれど、その成り立ちをたどると、そこには静止した文字ではなく、筆を持つ手の動きが見えてきます。
書とは、書かれたものの名であると同時に、書くという行為の記憶を残した文字なのかもしれません。